中野ウロコ本店(鱗ブランド)
オープンストーリー
『スーパーに押され、代々続けてきた魚屋をやむなく廃業したが、年齢的に就職は難しい。経験を生かしてどうにか働けないか?』という男性との出会い。
当時、「街の魚屋」をはじめ、商店街等の個人商店の廃業件数が年々増え続けているという話題が目立ち始めていました。
一方、飲食業界においてはチェーン居酒屋全盛期を担った団塊世代が50代を迎え、業態と共に「世代交代の波」が押し寄せていました。50代といえば技術があっても再就職困難な世代です。今後、ますます少子高齢化が進むにあたり、我々は「この“オヤジ世代”が主役となって働くからこそ、生きる飲食店が必然となる。」と考え、時代を反映するこの2つの課題に挑むべく「鱗ブランド」プロジェクトは始まりました。
街の魚屋をオヤジ世代が切盛りする「飲食店」として再生する。
街の魚屋にはたくさんの“メリット”があります。
「立地の良い物件」
「確かな仕入れルートを確保している」
「魚介に対する知識と技術に長けている」
「家族経営者が多い」
「店主は根っから元気な商売人である」等、
個人飲食店の経営に必要な要素が詰まっています。
ただ一つの問題は、魚屋の店主は料理が作れない。
作れないのなら、調理の必要な料理を出さなければよいという逆転発想で
お客自ら魚介を七輪で焼いてもらう“浜焼スタイル”に決めました。
店舗デザインは「魚屋」の雰囲気をそのまま生かせば初期投資も低く済みます。
ホールを切り盛りするのは「ムスメ役」の若いアルバイト達。
“夏休みにイヤイヤながらも、家業を手伝う店主の娘”をイメージ。
彼女達の「拙い敬語」や「金髪」が雰囲気を作ります。
当時、大衆的な「焼き鳥」「焼きとん」業態はあるのに「魚専門の大衆店」はなく、マーケットの開拓余地が十分にありました。
2005年、門前仲町の初号店のヒットを皮切りに、鱗ブランドは『赤羽トロ函』をはじめとするコンセプトを理解いただいた数多くのオーナー様に「ライセンス販売」し各地でプロデュースさせていただきました。
2007年には漁村の過疎化、漁業再生、市場拡大の問題を抱えた大分県香々地漁協の再生プロジェクトも兼ねた「鱗ブランド」唯一の直営店「中野ウロコ本店」をオープン。
本プロジェクトをきっかけに、全国に「浜焼業態」は広がり、飲食業界のスタンダード業態として普及していくようになりました。